月刊『音盤』

不定期月刊として、レコード関連の記事を投稿します。

七月號 『謎なる紀多寛』

当ブログでは、一ヶ月に一稿を書こうと思っておりましたが、まとまった文章を書く時間を取れずに十ヶ月と余日が過ぎてしまいました。本月は紀多寛がタイヘイレコード時代に残した幻の流行歌について記そうと思います。謎大き歌手が残したレコードとは・・・。

 

 

紀多寛(北廉太郎)が残した歌の全貌を解明した者はいないだろう。いや、おそらく全てを解明することはできない謎なのだ。ポリドール時代の発売曲に関しては全て判明しているが、タイヘイやマイナーレーベル録音については6割が判明していれば良い方だと思える。

テレフンケンやニットーにも録音があるという噂も多く、有名どころを解説をしておくと、テレフンケンで『もしも債券あたったら』を発売している大北寛が紀多寛の変名であるという人もいる。しかし、この大北寛は筆者からすると紀多寛ではないという結論に至る。細かく分析してみると、紀多寛の歌声とは違う点がいくつかあるのだ。大北寛は『もしも債券あたったら』の他にも同社で『流転道中』を発売しているが、どれを聴いても紀多寛であるという決定的な合致点が見つからない。大北寛に関しては検証が不十分なため、まだ紀多寛でないとは言い切れない。

紀多寛のマイナーレーベルについてはさておき、タイヘイレコードの方では幻の一曲が発見されたわけだ。それが、なら丸と共演している『晴れの門出』という流行歌である。この曲名を発売目録や月報で目にしたことがなく、レコードを手にするまでは知り得ない歌であった。しかし、音盤を入手した上で改めて調べ直すと、昭和十二年十月に臨時発売として月報記載があることを知ったのだ。まあ、筆者の調査不足は差し置かせていただいて、とにかくレコードが現存していること自体が奇跡のような一枚だと考える。

歌の内容としては自局流行歌と称されているように、内地の妻と出征する兵士の様子が描かれている。演奏は和調の軽快な旋律である。裏面は、なら丸の『若しも男に生れたら』であり、大ヒット曲の『若しも月給が上つたら』を感じさせる旋律でなんとも言えない出来と言える。

同年の七月に支那事変が勃発して以来、流行歌にも戦争の影が迫っていた。そんな時期に歌手として活動を始めた紀多寛(北廉太郎)であったが、甘く柔らかい歌声は戦時流行歌からも感じられるものだ。

 

紀多寛のタイヘイ時代の録音はある程度の数があるのだが、見つかっていない幻みたいな歌も多い。それ故なのだろうか、ポリドールの北廉太郎は復刻が多方面で復刻されているが、タイヘイの紀多寛は数曲しか復刻が行われていない。いつの日にかタイヘイ時代のCD復刻も実現できたらと考えている。

 

昭和十二年十月臨発『晴れの門出』

松村又一  作詞 山下五郎  作曲 草笛道夫  編曲

紀多寛・なら丸 番号:21321-A

 

 

戦前流行歌研究家 高松 敏典